NPO法人ヒューマンネットワーク ピア
代表理事
宗)妙蓮寺 坊守
宮川 昌子
下関に嫁いできたころ、お寺に住み込みのようにしてお手伝いしてくださっているおばちゃんがいらっしゃった。お寺で育ったわけではない私に、お寺の決まり事や作法などをこまごまとおしえてくれるご法義なおばちゃんだった。ときには、ひどく叱られることもあったが、このおばちゃんが坊守(お寺に住む者)としての基礎を仕込んでくださったと言っても過言ではない。
しかしこのおばちゃんがだんだん歳を重ね、認知症が少し出てきたため施設に入らざるを得なくなった。それからわずかの間に息子さんの住む遠く離れた都会の施設で亡くなったと知らされた。お寺のそばで死にたいと常々おっしゃっていたおばちゃんの言葉とはかけ離れた最期だった。私はどうすることもできなかった自分を不甲斐なく感じていた。
その後、ふとしたご縁から障がいある人の生活支援ボランティアにかかわるようになって、問題点をひとつひとつ解消しようと努力するうち、いつの間にかNPO法人格を取得し自らが事業者として福祉に携わるようになっていた。
お寺、もしくはお寺のそばに福祉の拠点が作れないものだろうかという想いは、おばちゃんの想い出と共にふつふつと強くなっていった。
縁あってお寺のそばではないが彦島という地に2004年からディサービスを開設し、運営をしてきた。
活動を通していつも感じたことは、年齢に関係なく、過去にとらわれたり先に不安を抱えて動けなくなってしまっている人のなんと多いことか。自分の命の重さが感じられなくなり「今ここにある」という不思議さも喜べなくなってしまっている。日々の食べ物であっても、その命をいただいてこの命を永らえているということに気づけたら・・?
「今この時を精一杯生きる」という意味を感じることが出来たら・・・?
不要な命など一つもない。
そこにある全ての命、障がいがあってもなくても高齢であっても若くても、皆が「それぞれの命が尊い」ということに気づき、お互いの命を尊重し、あるがままの違いを受け入れ、助け合い、生き生きと暮らすことのできる社会を作ることはできないのだろうか。
そんな想いで福祉を通じて運営してきた彦島みんなの家は、開設より6年にして、もはや手狭となってきた。現在、新地に事務所を借りているが、彦島と新地の往復を利用者さんも含め皆が行ったり来たりしなければならず、借りている事務所の老朽化もあり早急になんとかしなければならない問題として悩ましいことだった。
昨年、ふと目にしたチラシで新地に土地が売りだされているのを知る。お寺からわずかの距離であり、その上かなりの広さがある。 当初からの想いを実現するチャンスなのではないか?もちろん先立つものなどない。
しかし理事・職員みなで何度も何度も討議を重ねた結果、思い切ってこの土地を購入し、移転しようと決定した次第である。土地購入は、理事たちの協力による一時的貸し付けでどうにか乗り切れた。正式契約登記も2月4日に完了した。あとは建物の改装である。これも市内各所で活躍するデザイナーやプランナー・建築士などのご協力により徐々にプロジェクトチームが結成されつつある。
新地移転後のみんなの家は、ディサービス「みんなの家」と事務所、さをり織作業場やアートスペースにあわせて、2階にはケアホームも併設する予定だ。
地域の人との交流スペースも開設できれば、と構想は膨らむ。高齢化し過疎化してゆく旧市内の活性化にも少しでも貢献できたらよいなぁとも思う。
通ったり、泊まったり、住んだり、・・・障がいが重くてもいつまでも地域で暮らしたい。それがたとえ最期の時を迎えるときであっても、皆に看取られて、笑い声に包まれて(いや涙か?)この世とお別れして往きたい。そんな想いをかなえる場所にできたら・・・・・
私を含めてこの地域に住む皆が安心して歳を重ねることができはしまいか。そんな風に考えるのです。どうぞ皆様、ご理解ご支援ください。